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「断捨離」の奥義(二)

2016年 12月 23日9:39 提供:東方ネット 編集者:兪静斐

  作者:銭 暁波

 前回の続きである。

 「ネットショッピング·カーニバル」と、もうひとつの生活の態度である「断捨離」のことについて少々話題にした。

 大量生産の時代から大量消費の時代へと突っ走ていく。やがてはその両方とも「過剰」のタグを付けざるを得なくなる。同じことを米国に次ぎ、日本も高度成長の坂道を上り下りして体験した。それゆえ、「過剰消費」の先にみえてくる闇はすでに「後車の戒め」としてはっきりとその存在がみえており、用心に用心を重ね、入念にその繰り返しを警戒せねばならぬのではなかろうか。

 過剰なる物欲で心の穴を補填しようとするならば破綻の危機が目前に迫ってくる。世に似たような危険な事例が山ほどあったにもかかわらず、ヌード写真を担保にお金を借りようとする中国の女子学生が大勢いた。こうみれば、過剰な物欲への依存は思考力の低下にもつながっていることは明らかである。物欲依存から脱出していくため、救いの手として「断捨離」というコンセプトを少しでも念頭に入れておき、自らの消費行動を考え直すべきなのである。

 さて、禅の心を具現化する「断捨離」は決して生活術だけのことではない。

 2015年、中国河南省のある中学校の若手教員が「世界広し、行ってみたい」というワンフレーズのみの辞表を提出し、「史上最も趣のある」辞表としてインターネット上でたちまち話題となった。このワンフレーズは2015年中国ネット流行語トップテンにも選ばれ、ロマンチシズムの影を色濃く滲ませているこのフレーズは中国全土において認知度のたかいことばとなり、たびたび引用されるようになっている。

 思えば、これは紛れもなく「断捨離」の一種に違いない。

 心を縛ってしまうあらゆるものを潔く取り除き、心身ともども解放感を追い求め、自由自在に羽ばたける我の大空をゆく。少々無謀で賛否両論あるが、だれでもできる行動ではない。余計な欲を「断捨離」し、思い切って主流社会を退き、自らアウトサイダーとして生き抜いてゆく意志は、強固たる自信と果敢なる勇気によって支えられている。

 「断捨離」の潜在意識には生への安心感と満足感にあるといえよう。しかし、これも年相応のことであろう。おませさんでないかぎり、若い人に無欲になれと口酸っぱく叫んでもそれこそ無駄なことである。年が増すにつれ、人生経験が深く積み重ねられていくことにより、人間はなりゆきに淡泊な心地になり、得失を度外視し、世評に左右されずの境地に至るのである。

 と、ここまで真面目に語っていた小生の耳に、「それでは君、タバコとお酒をまず断ったらどうだい」という天の声が聞こえて、ハッと驚かされてしょうもなく冷や汗を拭いながらそそくさと筆を置いてしまった。(了)

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