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掃苔録(二)

2017年 4月 10日16:58 提供:東方ネット 編集者:兪静斐

  作者:銭暁波

 前回の続きである。

 中高年の「原宿」と呼ばれている巣鴨の駅から十五分ほど歩いたところに染井霊園がある。都営霊園のなか、最も規模が小さいとはいえ、桜の代表として知られているソメイヨシノの発祥地であると同時に、多くの文学者がそこに眠っている。

 世界初の推理小説『モルグ街の殺人』を日本に紹介した饗庭篁村をはじめ、二葉亭四迷、高村光太郎、山田美妙など日本文学史の教科書にでてくる面々、そしてこのコラムの『随筆漫談』でも取り上げたことがある宮武外骨などの文学者のお墓はこの染井霊園にある。

 霊園の周辺には寺院などが多く、そこにも数多くの文化人や文学者が眠っている。たとえば、隣接している慈眼寺には芥川龍之介や谷崎潤一郎のお墓がある。

 芥川龍之介のお墓の墓石は一般の形より正方形、いわばサイコロの形になっている。墓石にしては非常に類稀なものだといわれている。この墓石は芥川本人の遺言によって愛用の座布団を形にして作られたという。慈眼寺は芥川家の菩提寺なので、芥川のお墓の右側に息子たちやご家族の墓も並んであった。慈眼寺について、芥川は随筆『本所両国』のなかで次のように述べている。「僕は萩寺の門を出ながら、昔は本所にあった家の菩提寺を思い出した。この寺には何でも司馬江漢や小林平八郎の墓の外に名高い浦里時次郎の比翼塚も建っていたものである」。司馬江漢は江戸時代の著名な絵師兼蘭学者である。小林平八郎は吉良家の家老で、『忠臣蔵』でよく知られたように、赤穂浪士団の四十七士が仇討ちするとき、迎え撃った剣客である。浦里と時次郎というのはフィクションの世界のカップルで、江戸時代の「心中物語」としてよく人情本や歌舞伎に登場する人物だった。

 このコラムで『因縁』と題された拙文でも取り上げたが、上述のお墓のほかに、芥川龍之介と関係の深い、文豪の谷崎潤一郎のお墓もそこにある。ただし、慈眼寺にあるのは分骨したもので、谷崎のお墓としてよく知られているのは氏がこよなく愛した京都にある。桜の名所として知られている「哲学の道」の途中の法然院に谷崎潤一郎は永眠され、小生は京都へ行くたびにかならずそこを訪れた。

 法然院の特徴的な茅葺きで数寄屋造りの山門を出て左手に墓所がある。谷崎潤一郎のほか、名高き東洋史学者の内藤湖南や、『「いき」の構造』を書き残した日本有数の哲学者の九鬼周造、経済学者で思想家の河上肇のお墓もそこにある。まさしく地霊人傑の如きである。

 谷崎潤一郎のお墓には墓碑がなく、谷崎による手書の「寂」と「空」と刻まれた二つの自然石があるのみで、墓石の真ん中には紅枝垂れ桜が一本植えてある。谷崎は「寂」の墓石の下で永眠されている。このお墓からも耽美派の巨匠の洗練された芸術の心がうかがえる。

 「寂」と「空」という言葉にうかぶ微かなる一抹の陰翳美を感じながら、谷崎が詠じた歌、「我といふ人の心はたゝひとりわれより外に知る人はなし」に合わせて考えると、人間というものは結局、「寂」の一言に帰着するほかはない、と谷崎潤一郎は最後まで世に告げているかのようであった。

 文学の神々に、合掌。(了)

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